世界仕事百貨
人に悩みを打ち明けたり助けを求めるのは、ときには勇気がいることだと思う。
でも、思い切って一歩家の外に出てだれかと話してみる。
それだけで気持ちが軽くなるかもしれないし、なにか一緒にできるかもしれない。
同じ思いの人が集まることで、自分の居場所ができてくる。
トルコの中部。日本でもよく知られている観光名所、カッパドキアのそばの小さな町に、一軒のレストランがある。
ここは、町に住む女性たちが自分たちの雇用をつくるためにはじめた手づくりのレストラン。
オーナーは、この町で暮らす12人の女性たち。
日本でも「地域の雇用を生む」という課題はよく聞くけれど、「女性は家庭に入るもの」という考えがまだまだ根強いトルコの地方で、どうやって自分たちの仕事をつくったのだろう。
話を聞くために、会いにいってきた。
首都のイスタンブールからカッパドキアまで、飛行機で1時間半、バスでは10時間。
降り立つと、そこは奇妙なかたちの岩が生き物のようにニョキニョキ生えた、世にも不思議な世界。
テレビや写真で見慣れているようでいて、朝もやのなか気球が空に浮かぶ光景はやっぱり幻想的で、一瞬時間が止まってしまったような気がした。
ただ、訪れて驚いたことは、そんな風景のすぐそばで人々がふつうに生活を送っているということ。
メインの観光地には美術館やお土産屋さんが並んでいるけれど、その先には住宅街や農場が広がっている。
カッパドキア周辺にはいくつかの小さな町があり、今回訪ねたのはアヴァノスという町。
川を越えてバスを降り、川のほとりを歩いていくと、イスラム教の唯一神アッラーを称えるモスクが見えてくる。
レストラン「Avanos Kadın Girisimciler Kooperatifi Restaurant (アヴァノス女性起業家協同組合レストラン)」があるのは、そのモスクの一角。
まだ開店前の朝9時にレストランを訪ねると、扉の奥のキッチンの方から、カチャカチャという食器の音や話し声が混ざったにぎやかな音が聞こえてきた。
中をのぞくと、数人の女性たちが料理の仕込みをしている。
つくっているのはトルコの家庭料理。
壷に肉を入れて焼く壷焼きケバブ、くり貫いた野菜にご飯をつめて煮たドルマ、小さな餃子のようなマントゥ…
笑顔で迎えてくれたお母さんたちが、次々と料理のつくり方を教えてくれる。
レストランのウェブサイトもないし、観光の中心地から少し離れているのにも関わらず、ここには、お母さんたちのつくる本物の家庭料理を求めて、世界中の観光客がやってくる。
エントランスには、紙ナプキンに書かれた色々な国のお客さんからのメッセージが壁一面に貼られていて、このお店が愛されていることが伝わってくる。
お母さんたちがこのレストランをオープンしたのは、今から5年前のこと。
最初に話を聞いたのは、12人のオーナーのなかで最高齢のファトマ(Fatma)さん。
朝からずっとマントゥの皮をこねているファトマさんに、疲れていませんか?と聞いてみた。
「大丈夫。仕事は楽しいよ。休みは、週に1回あればそれでじゅうぶん」
ファトマさんは、45歳のときに旦那さんを亡くし、それから女手ひとつで子どもを育ててきた。
「当時、この町には、一度家庭に入った女性が働けるような仕事はなかったの。セラミックのお皿の絵付けなど、いくつか内職をやったけれど、得られるお金はたかが知れていたんです」
たとえば、スーパーマケットのレジ打ちのような主婦の方ができるパートタイムの仕事は、ここにはないのだろうか。そう尋ねてみると、
「ないねぇ...」とファトマさん。
「そもそも、イスラムの信仰が深い既婚女性は、基本的にひとりで外に出られないのよね」と、後ろからべつのお母さんが教えてくれた。
働きたいけど、仕事がない。
「そんな悩みを、周りの人に打ち明けてみたら、自分と同じように、働きたいと思っている女性がたくさんいるということが分かったんです」
「この地域は農家を営む家庭が多いのですが、農家のような季節仕事は、冬には仕事が減ってしまうんですね。深刻な貧困ではないにしろ、なにか家計の足しになるようなことがしたいと思っている人は多いんですよ」
自分と同じ思いの人がたくさんいることが分かったファトマさん。仕事がなければ自分たちでつくろう、と思い立った。
「そこで、当時のアヴァノスの町長に相談を持ちかけてみたら、モスクの一角に使われていないスペースがあるから、ここで何かできるんじゃないか、と紹介してくれたんです」
「自分たちの得意なことをするのが一番だ、ということで、”家庭料理を出すレストラン”を開こうと決めました」
もともとトルコの伝統的な家庭料理は、仲間でひとつの場所に集まって、ときには世間話をしながら、分担してつくるものだった。
レストランという業態なら、いままで自分たちがしてきたことがそのまま仕事に生かせると思った。
「でもね、料理以外のことは、最初はまったく、何も分からなかったの」
思い出し笑いをしながら懐かしそうに話すのは、創業者のひとり、ネルミン(Nermin)さん。
「みんな、ふだん外食なんてしないから、接客の仕方が分からなくて。話し方とか、テーブルのセッティングとか、どうやって料理を運ぶとか、なにもかも。だから、テレビドラマのレストランのシーンを何度も観たりしながら勉強したんです」
いまでこそ笑い話だけれど、当時は大変だった。
家にお客さんを招き入れるのと同じ感覚では、サービスとして成り立たない。でも、近くに教えてくれる人もいない。
お客さんからの意見やアドバイスを取り入れながら、紆余曲折を経て、だんだんと成長してきたそうだ。
海外のお客さんも多いからと、英語を勉強しているスタッフもいる。
でも、言葉が通じないときも、お母さんたちの笑顔が人懐っこいからか、なんとなくコミュニケーションがとれてしまうらしい。
料理のつくり方に興味を持ったお客さんを厨房に招き入れて、見学してもらったり、マントゥの皮包みを体験してもらうこともあるそうだ。
そんなふうに、だんだんと愛されるお店になってきた。
立ち上げは町にサポートしてもらったけれど、今では役場の手を離れ、”共同組合”という形で自主運営しているそうだ。
「田舎だから、まだまだここは男性社会。そんななかで、女性だけのこういう組織はすごく珍しいと思います。だからこそ、全員の足並みを合わせるのが、いちばん大事なことですね」
その言葉通り、お母さんたちの息はぴったりで、それぞれの得意分野を生かしながら、忙しいときも臨機応変に助け合っている。
雑談が飛び交う和やかな雰囲気なのだけど、ただ仲良し、という感じでもなく、仕事としてのメリハリもあるのがいいなと思った。
家庭と仕事を両立するというのは大変なことだと思うけれど、みんながこんなに生き生きと楽しそうに働いているのはどうしてなんだろう。
あるお母さんが、こんな話をしてくれた。
「家で旦那と子どもの世話ばかりしていると気持ちがどんよりしちゃうんだけど、ここに来て、みんなで無駄話しながら作業していると、気が楽になるんです」
続けて、ネルミンさんが、朝からひとりもくもくと働いている女性を連れてきて、わたしに紹介してくれた。
「彼女は、ここで働いて2ヶ月になりますが、以前と比べると、見違えるように変わりました。明るくなったし、よく笑うようになった。仕事をしているときが一番幸せそうです」
彼女たちにとって、この仕事は、ただ賃金を得るための手段ではないのだろうな。
仕事は、家の外に居場所をつくるための機会なのかもしれない。
「夕方になると、仕事や学校を終えた息子や孫が遊びにくることもあって、とてもにぎやかなんですよ。休み時間に、聖書の読書会を企画する人もいます。みんなにとって大切な場所になっているな、と感じています」
「実は、ここで働きたいという人は、まだまだたくさんいるんです。でも、まだみんなを雇えるような状態ではないので、もっと人を雇えるように頑張っていきたいです」
最後に、何かはじめたい人に向けて、ネルミンさんからメッセージをもらった。
「まずは、いい友達、いいパートナーを見つけてください。そして、政府にも働きかけてみてください。今は、多くの人に働きかけることのできるクラウドファウンディングだってありますよね。大丈夫。それが意味のあることだったら、必ず誰かが助けてくれますから」
2015.6.29
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話し手 レストランで働く女性たち
「Avanos Kadın Girisimciler Kooperatifi Restaurant」は、カッパドキアの観光の中心地からバスで20分ほどのアヴァノスという町にあります。もし機会があったら、ぜひレストランを訪ねてみてください。トリップアドバイザー
聞き手 笠原 名々子 (Nanako Kasahara)
1989年東京生まれ。2012年から日本仕事百貨のエディターになる。このコラムでは半年間海外を旅するなかで出会った仕事を紹介しています。Facebook
トルコ語通訳 横溝 絢子 (Junko Yokomizo)
銀行員としてNYで5年働いたのちカッパドキアに移住。現地にて気球ガイド・旅行コンサルタントをする傍ら、「地球の歩き方」の特派員として情報発信もしています。
* 次回は、イタリアのミラノで「ギャラリーを持たないギャラリスト」として活動する女性を紹介する予定です。お楽しみに!